昭和46年03月14日 夜の御理解
やはり信心の世界と言うた方が良いだろうと思いますが、この信心の世界ほど霊妙不可思議な世界はない。信心させて頂く者だけが味わえる世界である。この心一つで自他共に生きたり、喜びたりする世界なんだね。もう心一つで天地が自由に成って来る程しの霊妙不可思議な働きを身近にいつも、こう感じておれれる、そういう世界、信心の世界とはそういう世界だとね。
そういう世界を、こう有り難い勿体無いと頂いて行く世界が、私共だけではなくて、世の中の、言うたら、皆の人にそういう有り難い世界を、知ってもらいたいと言うのが、まあ私共の願いじゃなからにゃならん。そのためにどうしても一つ、おかげを頂かねばならない事はです、今、あの久冨さんが頂いておられる事をお届けされましたんですけれども、一切が神様のお命である。
神様の御物であり、神様の財であり、神様の家であると、例えばね、私共のまあ周囲全ての物が神様の御物であると分からして頂く世界が大坪栄四郎に宮崎泉と頂かれたと、だから限りなく泉のように沸いて来る、おかげが沸いて来る世界、もういよいよ栄える城ですね、栄四郎のおかげを受けられる世界、もう実に(れいのどかしい?)。ところのお話を頂いてなるほど、一切が神様の御物だなあ、神様の命だなあ、神様の家だなあ、お金だなあと、理屈の上では分かりますけれども。
それが分かっていない証拠に沸くほどのお金にはなっていない。いよいよ栄える、ばっかりというおかげになっていないというところにですね、私共がいよいよ、精進しなければならない、焦点を置かなきゃならんと言う事になります、だから心一つで、そのおかげになるならないけども、その心がやはりその心が問題なのですから。もういよいよもってその心が、本気で清められる。
本気で豊かになる、本気で美しゅうならして頂くと言う事に努めていく事によって、実感として神様の働き、神様の御物と分からして頂くのです。そこにはそれこそ泉のように、湧いて来るだろうおかげ、限りなく栄えていくであろう、人間の幸せの世界に、そこんところを例えば私共のそういう霊妙不可思議な世界を自分のものだけにせずに、人にそれを広げて行くと言う事の願いというものが持たれる。そこからいわゆる信心共栄神様と共に栄えて行く道が開けて来ると言う事になる訳です。
話を聞いて、なるほどと思うのは分かるけれども、一切神様の御物だと、言う実感というか、なかなかできる事ではないですね。私今日午後からこの頃から第1回の御造営の費用を、現金ではやはり沢山の金額ですから、銀行送金したがよかろうと信者さんと相談してから送ってもらいました。倉敷のの富士銀行支店宛てであるという。それがもう随分になりますけれども今日その受け取りが参りましたんですけれども、受け取りをもらおうとかもらわないとか、そして金光様、にお届けしたと言うて御神米を。
もうこれだけの金額をお供えさして頂いても普通の御信者さんならね、御神米を頂いて、教師に対してはですけれども、御信者さんが(笑い)金一封頂いたと銀行からは、あの受けたとその金額附がまいりましたんですけれどもね、もうそう言う事になりますとね、おかげを頂いて、もう自分の物をこうしたという思いがさらさらない事ですね、神様の物がちったあこうしただけだという実感です。だからこういう実感が、今日は私は皆さんに聞いて頂く、いわゆる神様の御物としての頂き方が抜けなければならん。
そこんにきがだんだん、できてきたところに、私はこう限りないおかげに恵まれておるんじゃないかというふうに思わしてもらいます。まあ今日は、そういうこれはもう信心の頂いておる者でなからなければその、霊妙不可思議な世界というのは体験する事はできない。しかも、本気で磨こうという姿勢、本気で美しゅうなろうとする姿勢に精進する者にしか与えられない世界が信心の、いわゆる霊妙不可思議な世界だと思うんですね。
どうぞ。